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音楽

NO.1

SAM COOKE – Twistin’ The Night Away

LP (RCA LPM-2555)

ソウルミュージックの巻頭を飾るのに、サム・クックほどふさわしい人間が他にいるだろうか。

この”ソウル”を単にアメリカン・ブラックの同義語と見ないで、その内実にあくまでこだわろうとするなら、サム・クックはまさにそのソウルを体現し、そのソウルに豊かな内容を付け加えてきた人物であった。

単にソウル・スターラーズという有名なゴスペル・カルテットのリードを務め、そこから飛び出した”オリジナル”ソウル・シンガーであるということ以上に、このことは大きい。

60年代末に大衆的な黒人音楽全般に対して使われるようになったこの”ソウル・ミュージック”という用語に対し現在のラップなどの降盛から、再びその適切性が問われる形になっているが、そうした時に常に”ソウルとは”という問いかけに大きな手がかりを与えてくれるのがこのサム・クックではなかろうか。

もっとも、”ソウル”をそこまでしゃちほこばって考えずに黒人音楽全般を指す一種の記号と見なしてもよいという考えも一方にはあるのだが。

要は、それを使う人が、どこまでわかって使っているのかになるのだから。

さて、サムの代表的アルバムを選ぶに当り、ぼくが真先に思い浮かべたのが、62年の本アルバムだった。

内容的に見て最高ということもあるが、選んだ理由はもうひとつある。

それは、サムがほぼ自分のロード・バンドを使って吹込んだ最初のLPではなかったかという点だ。

これに気がついたのは例の63年の”ハーレム・スクウェア・クラブ”でのライブ盤が出された時で、その両者に深く共振するものを感じたわけだ。

まぁ、それは推測の域を出ないので、早急にRCA側からデータが公開され、パーソネル、録音年月日などを含むディスコグラフィーが作られることが望まれる(ぼくはサムのまともなディスコグラフィーを見たことがない!)のだが、もしそうだとすると極めて重要な意味を持つことになる。

ジェイムス・ブラウンはいち早く59年にロード・バンドでレコーディングするようになっていたが、当時のR&B/ソウル・アーティストは大抵が次のような手続きを経ていた。

すなわち、まず曲を持ってきて会社専用のスタジオで録音する。

その際、楽譜に強いスタジオ・ミュージシャンが起用され、ストリングスなども後からふんだんにかぶせられる。

こうして作られた曲は数か月以内にはリリースされ、時にはポップ・チャートとクロスオーヴァーしてヒットを記録する。

これがライブでも彼らの顔になるわけだ。

だが、顔とはいっても会社専属のスタジオ・ミュージシャンによるレコーディングはライブ(特に南部黒人相手のチトリン・サーキットのもの)の生々しいスタイルとは大きな隔たりがある。

それでもこのスタジオ録音こそが、アーティストの名刺代りになってきたのである。

サムは、このアルバムでロード・バンドを使うことによって、ライヴのスタイルこそを名刺代りにしようとしたのだ。

つまり、これ以降はスタジオがライヴを制するのではなく、ライヴがスタジオを制するのである。

このことの意義は大きい。

ソウル時代に入って、モータウン、スタックスといった代表的レーベルの音楽を聞いてみれば、たとえそれがハウス・バンドを持ってはいても、それがライヴの音でもあることに気がつくはずだ。

ソウル時代の到来とは、ライヴ=スタジオを主張することによってアイデンティティを確立したことにもあった。

だが、サムのその試みが容易なものでなかったことは明らかである。

サムのそうした意思に対し、会社側はあくまで”トゥイスト・アルバム”という虚飾を配してリリースしたのだから。

いうまでもなく、62年2月のナンバーワン・ヒットA(1)をフィーチャーしたもので、それとほぼ同じ頃吹込まれた「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」「ハヴィン・ア・パーティー」(この2曲は最初”The Best”(同 2625)に収録された)と続く3連続ヒットに、サムの強烈な自己主張を感じることができる。

このアルバムからはサムの”ブルース”として名高いB(4)もヒットしている。

12曲中、B(6)だけは61年4月のヒット曲で、サミー・ロウが制作したもの。

会社側の意図するスタジオ録音物で、他の11曲との作りの違いを感じてほしい。

その11曲すべてが傑作といっていいもので、ラティモア・ブラウンのA(4)、後にジョニー・テイラーが歌うA(5)、シムズ・トゥインズが歌うB(2)(5)となじみ深い曲が続く。

A(2)も後にシングル化されてヒットするのとは別ヴァージョンではるかに力強い。

▶Some More from this Artist:

スペシャリティ以降だが、一応サムの7年間の足取りをオリジナル・アルバムに沿ってみておこう。

①”Songs By Sam Cooke” (Keen 2001)

②”Encore” (同 2003)

③”Tribute To The Lady” (同 2004)

④”Hit Kit” (同 86103)

⑤”The Wonderful World Of Sam Cooke” (同 86106)

⑥”I Thank God” (同 86103)

以上がキーン時代の2年間の作品集。

ただし、⑥はサムの単独アルバムではなく、他はゴスペル・ハーモネッツとファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのアンデックス時代のゴスペルが4曲ずつ収録されている。

ヒット曲集的な④、スタンダードを歌っても自由な感じの①、「ノー・ワン」など聞き物がある⑤を除けば、アルバムの密度は薄い。

”オリジナル”という以外高い価値はなさそうだ。

③はご存知ビリー・ホリデイに捧げた企画物。

⑦”Cooke’s Tour” (RCA Victor 2221)

⑧”Hits Of The 50’s” (同 2236)

⑨”Sam Cooke” (同 2293)

⑩”My Kind Of Blues” (同 2392)

⑪”Mr. Soul” (同 2673)

⑫”Live At The Harlem Square Club, 1963″ (同 5181)

⑬”Night Beat” (同 2709)

⑭”Ain’t That Good News” (同 2899)

⑮”At The Copa” (同 2970)

⑯”Shake” (同 3367)

RCA時代に関しては目ぼしいオリジナル・アルバムを挙げるにとどめる。

スタンダード集の⑦⑧は問題外。

⑨⑩もその傾向が続くが、いくらか力強さが出てくるようになる。

⑪は再びスタジオ・ミュージシャン起用に戻った模様。

だが名作「ナシング・キャン・チェンジ・ディス・ラヴ」が生まれた。

その次の⑫は85年に初めて陽の目を見たものだが、当然この辺に出されておかしくなかったもの。

内容は◎の保証付きで最高。

⑬も”ソウル・シンガー”としての自覚が強く、有名ブルースを彼流に処理した曲や「ラーフィン&クラウニン」のような名作ブルースが入っている。

そして⑭、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が初めて収録されたLP。

しかも、後のヴァージョンより長いので貴重。

そして、⑫とは別の意味でぼくが非常に高く評価している64年のニューヨークでのライヴ盤⑮へと続く。

オーティス・レディングが、そして他のソウル・シンガーがここから何を学んだか、今一度じっくり考えるべし。

ベスト盤としては『ザ・マン・アンド・ヒズ・ミュージック』 (RVC R32P-1041)を

転載:U.S. Black Disk Guide©鈴木啓志

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