モータウンに”真”のファンクをもたらした男、リック・ジェームス。
ニューヨーク州バッファローで生まれ育った彼は、幼い頃からモータウン・サウンドに親しみ、モータウンと契約してスターになることを夢見ていたという。
しかしながら、その実力を存分に活かし切ることなく87年にモータウンを去ってしまったことを考えれば、リックにとってモータウンとの契約が果たして本当に夢の実現だったか否かは、今となってははなはだ疑問である。
60年代初期にニール・ヤング率いるマイナー・バーズと共に活動していたリックは、ロンドンに渡ってメイン・ラインなるバンドを結成。
その後アメリカに戻り、ストーン・シティ・バンド(後にリックのお抱えバンドとなった)を結成している。
リックがかねてからの念願通りモータウンと契約したのは78年のこと。
デビュー・シングル “You & I” をいきなりR&BチャートNo.1に送り込み、ポップスでもNo.13と大健闘した。
管理体制を敷いていたモータウンもリックだけは手に負えなかったようで、続くヒット曲 “Mary Jane” (R&BチャートNo.3)は何と “マリワナ賛歌” だったのである。
しかも、ラジオでエアプレイしてもらうためのプロモーションの際、リック自らマリワナをラジオ局のDJたちに配布したという大胆不敵な行動はベリー・ゴーディJr.の怒りを買うハメになった。
デビュー当初から、リックはモータウンにとって煩悩のタネだったのでは。
それでも彼の勢いは留まるところを知らなかった。
本アルバムからはA(1)、B(1)の大ヒット曲が生まれ(前者はR&BチャートNo.1、後者はNo.3)、その人気を決定づけたのだった。
昨年、M.C.ハマーがB(1)のタイトルを変えて(”U Can’t Touch This”) 世界中で大ヒットさせたが、ヒットの要因はもちろんハマーのラッピンではなく、原曲のカッコ良さだ。
また、設立当初から白人マーケットへの進出を目標としていたモータウン所属アーティストのうちで、これほどブラック・ピープルに片寄った支持を集めた人物も珍しい。
その理由として考えられるのは、A(1)、A(3)に見られる即物的感情の露出(ファンクの基本である)、更にA(2)、B(4)でストリート(=ゲットー)ならではのファンクを明確に提示した点など。
60年代のモータウンからは決して登場し得なかった、まったく新しいタイプのスターがリックだった。
何事も売れた方が勝ち。
それ故に、暫くの間モータウン側は彼を野放しにしておいたようだ。
▶Some More from this Artist
① “Come Get It” (Gordy 981)
② “Bustin’ Out Of L Seven” (同 984)
③ “Fire It Up” (同 990)
④ “Garden Of Love” (同 995)
⑤ “Throwin’ Down” (同 6005)
⑥ “Cold Blooded” (同 6043)
⑦ “Glow” (同 6135)
⑧ “The Flag” (同 6185)
⑨ “Wonderful” (Reprise 25659)
リックと言えば、サウンド・クリエイターとしての手腕と傍若無人なキャラクターばかりが取り沙汰されるが、シンガーとしての力量も相当なもので、本アルバムに収められている(当時恋仲だった)ティーナ・マリーとのお熱いデュエットB(2)、大先輩スモーキー・ロビンソンとのヴォーカル競演をやってのけた”Ebony Eyes”(83年、⑥に収録)などを一聴すれば、彼のヴォーカルが決してファンク・サウンドの添え物に終始していないことに気付くはず。
⑥まではゴーイング・マイ・ウェイだったリックも唯一のグレイテスト・ヒッツ・アルバムをリリースした後の⑦辺りから方向性を見失ってしまった。
当時、彼の最大のライヴァルとされていたプリンスの成物劇をハタから眺めながら、リックがかなりのジレンマを感じていただろうことは想像に難くない。
それにしても、⑦のアルバム・タイトル曲のプロモーション・ヴィデオにプリンスを明らかに意識したヒラヒラのブラウスと白いギターで登場したのを目にした時には、本当に情けなかった。
先述のT.マリー、ストーン・シティ・バンド、そしてメリー・ジェーン・ガールズらのプロデュースにも精を出していたリックだが、T.マリーはその後エピックへ移籍し、他のグループ2組も自然解散の道を辿ることに。
⑧のリリース以前からモータウンに対してかなりの不満を抱いていたというリックは、遂に憧れだったモータウンを後にする。
移籍後の⑨からは、ラッパーのロクサーヌ・シャンテをフィーチャーした”Loosey’s Rap”(88年、R&BチャートNo.1)が久々のヒットとなったが、それ以来、目立った活動をしていない。
かつてはファンクの王道を牛耳っていたリックが、M.C.ハマーのカヴァー曲でのみ人々の記憶に甦るのでは余りにも悲し過ぎる。
これは結果論でしかないが、リックがもしモータウンと契約していなかったなら、少くとも今のようにシーンから姿を消すことはなかっただろう。
本来なら、もっと大成して良いはずのアーティストである。
あともう少しで40代に足を踏み入れるリック。
このまま消滅してしまうのでは、本アルバムの素晴らしさが泣く。
転載:U.S. Black Disk Guide©泉山真奈美
@say-G’z 補足
1989年にお蔵入りしたアルバムが⑩”Kickin'” 。
音的には”The Flag”の頃と思う。移籍のゴタゴタで発表されなかったのかな?
中々カッコイイ良く出来たアルバムだと思う。音源のみで配信されているようです。
⑪”Urban Rapsody” (Raging Bull 46341-7070-2)
このカムバックアルバムも良いんだけど、タイミングが悪かった。ブーツィー・コリンズの新作(こちらもカムバックアルバム)と同年にリリースした為、埋もれてしまった感が。。。
ボビー・ウーマックやスヌープ・ドッグをブーツィーより先にフューチャーしてるのに、本当にツイてなかった。
⑫”Deeper Still” (Stone City Records 015)
2004年にリックが亡くなってから、死後発表されたのが、このアルバム。
故人には申し訳ないが、地味な曲が多く、僕好みのアルバムではない。
⑬”Rick James Forever”
2020年に発表された蔵出しミニ・アルバム。
後期のリックのファンクは結構、金太郎飴的に似たような感じだったが、蔵出し故にこれも仕方が無いか。
それでも、前作よりは良い感じ。
前作から「Teste」という曲が被っている。
このミニ・アルバムも配信のみ。
因みに①~⑩、⑬はamazon music unlimitedで聴けます♪
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