no.729
BEAU WILLIAMS / Stay With Me
ボー・ウィリアムスは2度の変身を遂げた。
1度目はボボ・ミスター・ソウルというおかしな名などでレコードを出していた無名時代から80年代に一躍脚光を浴びるようになる時代への変身、そして2度目が御多分に漏れず、その時代からゴスペルへの復帰という変身である。
そのうち、彼の人生にとって一番充実していた時期は? 20年後にこう聞かれた彼は躊躇なくこう答えるだろう。
「それは2番目の時期だ」。このおよそ6年間の間に4枚のアルバムを発表する。
量的にも一番乗っていたことが明らかである。
そのどれもが水準以上のものとなっているが、ベストとなれば、やはり83年に出された第2作目ということになるだろう。
ヒューストンからロサンジェルスへ来てようやくその水にも慣れてきたのか、ウエスト・コーストのバックを背に余裕たっぷりの歌を聞かせてくれる。
サザンソウルとかハッシュ・スタイルとかなかなか分類しにくいスタイルを持つが、サム・ディーズの書いたA(2)、B(2)、自作のA(4)、B(4)など独自のバラード表現は正に脱帽の体である。
もう少しA(1)のようなファンク路線に磨きをかけていれば、メジャー・シーンに残れることも可能だったような気もするのだが。
なお、いろんな人が歌っているアル・グリーンのA(3)は平凡な出来。
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ボー・ウィリアムスはヒューストンに1953年頃生まれたシンガー。
地元の教会で歌っていた彼は、70年代に入ってすぐ地元のOvideから2枚のシングルを出す。
ボボ・ミスター・ソウルという名のそれで、特に「ヒッチ・ハイク・ハートブレイク・ロード」はハイに買われ、最高のミディアム・ナンバーとしてよく知られている。
その後、ロサンジェルスに行った彼は兄弟2人とグループを結成。
それが77年の”Soller Heat” (ABC 1129) というLPにもなるわけだが、これもディスコ色はやや強いものの、ボーの伸びのあるテナーが実に新鮮かつ気持ちよく、隠れた好盤としてよく知られている。
その後、テンプスのリード・シンガーの候補にも名の上がった彼だったが、背が低くてそれは立ち消えとなるという有名な話が残っている。
82年のソロ・デビュー作が単に”Beau Williams” (Capitol 12213) というもので、ジョニー・ペイトが手掛けてはいるものの、ウエスト・コースト録音。
自作の「シームズ・ライク・アイブ・メット・ユー」なんていう最高のバラードも含まれているが、有名な「ア・ソング・フォー・ユー」の解釈は今いち。
全体的にももう一押しがほしいといった作りである。
84年の”Bodacious!” (同 12344)、86年の”No More Tears” (同 12486) となると、すっかり安定してくるが、今度は音との親和性という点で問題が出てくる。
それでも前者の「ユー・アー・ザ・ワン」や後者の「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」など傑作バラードというしかない。
この86年の方はハッシュ制作で新生面を見せているのに注目したい。
89年にはゴスペルに復帰。
既に、”Wonderful” (Light 72021)、 “Higher” (同 74031) 他3枚のアルバムを発表。
持味は少しも変化してないが、もう少し世俗音楽にとどまってほしかったという気がしないでもない。
それぞれ有名曲、自作曲を含み内容は多彩。
転載:U.S. Black Disk Guide©鈴木啓志
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