amazon music unlimitedでU.S. Black Disk Guide音源を探す旅 No.139

音楽

SLY AND THE FAMILY STONE / Stand!

LP (Epic KE-26456)

Producer: Sly Stone

【A】 (1) Stand! (2) Don’t Call Me Nigger, Whitey (3) I Want To Take You Higher (4) Somebody’s Watching You (5) Sing A Simple Song 【B】 (1) Everyday People (2) Sex Machine (3) You Can Make It If You Try

スライとファミリー・ストーンの代表作を、”Greatest Hits” (Epic 30325) を別として1枚選ぶとすれば、この69年の『スタンド!』か、それとも71年の “There’s A Riot Goin’ On” (同 30986) かの二者択一ということになる。

レコードの溝に刻まれた世界の完成度とユニークさを基準に選べば後の『暴動』に軍配があがるが、ウッドストック音楽祭のもっともエキサイティングな一幕の主役になったあのスライの、あのファンクの勢いをよく伝えるのは『スタンド』のほうだ。

スライの音楽は、フラワー・チルドレンの街サンフランシスコを抜きにしては考えられない。

”キモチイイことなら何でもしていい”という60年代ヒッピーの精神が、彼がソウルとジャズ、ロックを自在にまぜる手口の指針になったと思われる。

1944年にテキサス州ダラスに生まれ、4才でゴスペル・シングルを出す神童だった(だれだ、30過ぎたらタダの人、なんて意地悪をいうのは?)

シルヴェスター・スチュワート氏は、ドゥー・ワップ・グループのリード・ヴォーカルやダンス・レコード(ボビー・フリーマンの「スウィム」等)のプロデューサーとしてリズム&ブルース感覚を磨くいっぽう、シスコやオークランドのラジオ局でDJをした。

あるいはこのDJ経験が、”クロスオーヴァー”なんてワザとらしいことばとは無縁な、自由な音楽への姿勢を身につける修行になったのかもしれない。

コロンビアと契約する以前の彼のバンドの演奏は、sculpture SCP-2001といったアルバムで聞ける。

オーティスの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」をやったりして、彼らがもともとはR&Bバンドだったのが分る。

67年のコロンビア第1作 “A Whole New Thing” (Epic 26324) はおもちゃ箱をひっくりかえした感じ。

同じ年の6月にビートルズの『サージェント・ペパーズ』が出、10月にこれが発売された、と聞けば、時代の雰囲気がよく分る。

翌68年の、最初のヒット曲「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」をフィーチャーした同名のLP (同 26371) では、実験性よりダンス・バンドの側面が前に出ると同時に、スライの音楽的個性が固まった感じがするが、個々の曲の魅力はいまいち。

同年、もうすこしサイケデリック・ロックっぽい曲を集めたアルバム “Life” (同 26397) も出ていて、「ファン」や「ライフ」、「マイ・レイディ」といった印象的なリフの佳曲が入っている。

このアルバムの「イントゥ・マイ・オウン・シング」で、スライは本格的にファンクに踏み込んだ。

そして、いよいよ『スタンド』。

A(3)やA(1)、A(5)といった古典が目白押しのこのアルバムで、スライのファンクは完成する。

「ドント・コール・ミー・ニガー・ホワイティ」や「エヴリデイ・ピープル」にみられるように、スライ流のシンプルな歌詞も、以前にましてことばの力を発揮するようになった。

最初にトークボックスやハープをファンクに使ったのが、ザップ/ロジャーでないことも、未聴の人は、これを聴いて確かめてほしい。

同じ年に出た “Greatest Hits” は、妥当な選曲の12曲入りベスト盤で、しかも、「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム」「サンキュー」と、LP未収録のヒットが2曲入っている。

「ホット・ファン・・・・・」は、今ではオールディーズとして夏によくラジオ(もちろん向こうの)でかかるポップな名曲、「サンキュー」はファンク・クラシックだから、この盤も侮れない。

2年後の次作『暴動』では、カリフォルニア的楽天性がロックっぽさとともに消え、ファンクの骨格がむき出しになった。

ファンクがむき出しといっても、ノセノセではない。

リズムの上に周到にオフぎみにかぶせられたヴォーカルは、”みんなのうた”ではなく、スライの心象風景のモノローグとして浮遊する。

もちろん、ロージィ・ストーンとラリィ・グラハムの歌をフィーチャーした美しい「ファミリー・アフェアー」のように、モノローグの域を脱した曲もあるが、全体的に”ぼくは詩人だ”(「ポエト」)という姿勢が見え隠れする。

それも含めて、筆者は、アルバムが好きなんだけど。

ここまでがスライとファミリー・ストーンの全盛期。

このあと、古くからの相棒のベーシスト、グラハムがグループを去り、スライはファンクの隆盛の蔭にだんだん埋もれてゆく。

この後、エピックでのアルバムは4枚。

73年の “Fresh” (同 32134) と74年”Small Talk” (同 32930) は、基本的には詩人路線のアルバムで、強烈な印象に乏しい。

後者の、生れたての自分の子どもの声を入れた「スモール・トーク」のように、いい曲もぼちぼちあるんだけど。

スライのソロ名義で、ファミリィ以外のミュージシャンも使った75年の “High On You” (同 33835) 、ファミリィ・ストーン名義に戻った76年の “Heard Ya Miss Me, We’ll I’m Back” (同 34348) 2枚は、ポップさとビッグな音を取り戻そうとする試みで、ワーナーに移ってのカムバック盤2枚。

79年の “Back On The Right Track” (WB 3303) と80年の “Ain’t But The One Way” (同 23700)よりは、生気がある。

以後、スライは、Pファンク・ツアーに客演したり、ジェシ・ジャクスンと組んだりしてスポットライトを浴びるが、67年~70年頃のピーク時の創造性をしのぐ仕事はもちろんしていない。

転載:U.S. Black Disk Guide©中河伸俊

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