TYRONE DAVIS / Turn Back The Hands Of Time
LP (Daker SD-9027)
Producer: Willie Henderson
タイロン・デイヴィス・スタイルと言われれば、サザン・ソウルやディープ・ソウルをかじってきた人なら、すぐピーンと来る。
彼は今なおそれを武器に歌い続け、さらにフォロワーを生み出してきた。
そっくりさんといえば、すぐにマーヴィン・シーズくらいしか思い浮かばないが、彼の曲あるいはタイロン・スタイルの曲を歌っている人なら数知れない。
これはサム・クックと同じくらいスゴイことではなかろうか。
現在、ソロモン・バーク・スタイルなるものが生き残っているだろうか。
ウィルソン・ピケット・スタイルなるものが生き残っているだろうか。
アル・グリーン・スタイルなるものが生き残っているだろうか。
生き残っているのは精々彼らの遺産であり、曲だけだ。
だが、タイロン・スタイルは今もある。
サム・クック・スタイルが、そしてボビー・ブランド・スタイルが現在も継承されてきているように。
タイロン・スタイルの誕生の秘密はどこにあるのだろうか。
その秘密を解き明かせる重要作が彼の2枚目のLPだ。
それは70年にナンバー・ワンとなったA(1)に? いや、むしろそれに次ぐヒット曲A(5)、つまり7枚目のシングル盤にある。
タイロンの持味だったブルージーな乗りはA(1)を経て、さらに削り落とされ、A(5)、A(3)、B(3)といった曲で独特なグルーヴ感を生む。
リトル・ミルトンによって60年代に開発されたシカゴ・スタイルに加え、細かいビート感を盛り込み、さらにサザン・ソウルに通じるディープな歌いっぷりがそれに味付けする。
ここでそのスタイルが完成したとはいい難いが、その口火を切るものとして、このアルバムは不滅の価値を持っている。
むろん看板ソングA(1)の軽やかさも忘れ難い。
個人的に思い出深いのがB(1)だ。
「キャン・アイ・チェンジ・マイ・マインド」で彼のとりこになったぼくが、いわばダメを押されたのがこの曲だった。
特に、最初の方で”I did you wrong”と歌った後で、ドラムスがドタドタドタとたたくあたりが実にカッコよく、何度も何度も聞いたものだ。
一体、このドラマーの名は何というのだろう。
とにかく、まだまだブルージーなタイロンというのも魅力一杯だ。
なお、この曲は正確には”Is It Something You’ve Got”という。
スローはあまりうまくないと言われるタイロンだが、B(5)は気に入っている。
▶Some More from this Artist
- “Can I Change My Mind”
- “I Had It All The Time”
- “Without You In My Life”
- “It’s All In The Game”
- “Home Wrecker”
- “Turning Point!”
- “Love And Touch”
- “Let’s Be Closer Together”
- “I Can’t Go On This Way”
- “In The Mood With Tyrone Davis”
- “Can’t You Tell It’s Me”
- “I Just Can’t Keep On Going”
- “Everything In Place”
見事! ダガー7枚、コロンビア7枚。
69年から81年までよくぞ出したものだ。
この前にもタイロン”ザ・ワンダー・ボーイ”の名で出したシングルとかいろいろあるが、それは省く。
まず①。湿った軽さとでもいおうか、ナンバー・ワン・ヒットになったタイトル曲の威力はすごい。
シングルでのB面だったのが、「ア・ウーマン・ニーズ・トゥ・ビー・ラヴド」というブルージーこの上ない曲で、タイロンの1曲となればやはり今でもぼくはこれをあげるかもしれない。
この2曲が入っているだけでも①は必携。
「ターン・バック・ザ・ハンズ・オブ・タイム」で始まった甘口路線は、②~④に継承されたが、中にはおそろしく気の抜けたものも入っている。
が、②のタイトル曲で過去を振り返り、新曲にもたまにいいところを見せている。
75年、彼がそれまで使っていたシカゴ関係のライターではなくサム・ディーズを起用し、「ホーム・レッカーズ」のヒットをものにする。
みちがえるほど良くなったタイロン。
彼の3大傑作の1曲だ。
音も一時のぬるま湯体質を脱し実にキビキビしたものになっている。
⑤はそのヒット曲をフィーチャーして作られたものだが、残念ながら残りの曲はすべて収録済みのもの。
新しく勢いを得た彼は、続けて同タイプの「ターニング・ポイント」で再度最高位をかち得るが、僕の感覚では「ホーム・レッカーズ」の方が出来は上だ。
が、これが文字通り転機となり、新しいタイロン・スタイルの曲が続々登場する。
アルバムとしても⑥は質が高く、久々の傑作LPといえる物だった。
「ターン・バック・・・・・」の再録も興味深いし。
ダガーの消滅と共に76年にはコロンビア入り、以後タイロンといえばレオ・グラハム、レオといえばタイロンといった協同態勢が出来上がっていく。
音的にもダガー後期を引き継いでいるが、曲によりドラムの音がせわしくなり、深味がなくなった。
それでも⑦からは「ギヴ・イット・アップ」の大ヒットが。
それ以後ではやや甘さのすぎる⑧⑫あたりより⑨⑬などの方がベター。
⑨は「ゲット・オン・アップ」というディスコ・ナンバーがあったりするが、バラードの「オール・アイ・エヴァー・ニード」が新しい彼の姿を見るようで新鮮。
また⑬には「ジャスト・マイ・ラック」というミディアムの久々の快作が入っているし、スローの「ラヴ」もムード一杯。
戻って⑫は「ハウ・スウィート・イット・イズ」で評判になったアルバムだが、他の曲は精彩がない。
この後もタイロンは次のアルバムを出し続けている。
- “Tyron Davis”
- “Something Good”
- “Sexy Thing”
- “Man Of Stone (In Love Again)”
- “Flashin’ Back”
- “Come On Over”
コロンビア退社後のタイロンはご覧の通り、マイナーを転々とする感じである。
82年の⑭を起点に6枚ものアルバムを出しているものの、既に彼の音楽がメジャーからはずれたところで支持されていることがわかって、悲しいような、ホッとするようなそんな気持である。
⑭は相変わらず、レオ・グラハムのプロデュースによるもの。
「アー・ユー・シリアス」が80年代に入っての最大ヒット(ブラック・チャートで3位まで上昇)だけにさすが魅力的なメロディを持つ曲だが、他の作品のインパクトは弱い。
それに対し⑮は80年代以降のベストといえるもの。
取り上げられている曲も興味深く、オーティス・クレイとデュエットしている「オール・ビコーズ・オブ・ユア・ラヴ」はいうに及ばず、ウィラード・バートン(ピアノ・スリム)が歌っていた「レット・ミー・ビー・ユア・パシファイア」などスローに好曲が多い。
だが、そのレーベルもすぐにつぶれ、彼はいよいよ自分のレーベル、フューチャーを設立、以来90年までに4枚。
しかし、⑯⑱は半分が既発売曲という手の抜きよう。
でも⑱の「イッツ・ア・ミラクル」は久々タイロン・グルーヴの好曲なので許そう。
⑰⑲は音の使い方と曲の問題が残るアルバムで、印象は薄かった。
現在はイチバン在籍。
転載:U.S. Black Disk Guide©鈴木啓志
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