THE SUPREMES / Where Did Our Love Go
LP (Motown 621)
Producer: Holland, Dozier, Holland
マーサ・リーヴスと違って”役立たずの秘書”だったダイアナ・ロス(ハイスクール時代、夏休みを利用してモータウンでアルバイトをしていた)を中心に結成されたシュプリームスは、59年に結成されたザ・プライメッツがその前身で、その当時は4人編成だった。
シュプリームスのオリジナル・メンバーはダイアナ、フローレンス・バラード(76年死去)、メアリー・ウィルスンの3人。
モータウンに最も多くのヒット曲を残したガール・グループで、アメリカに”ビートルズ旋風”が吹き荒れた60年代。
彼らに対抗出来た唯一のアーティストがシュプリームスだったと言われている。
ハイスクールの卒業とほぼ同時に、シュプリームスは60年にモータウンと契約。
翌年、モータウン傘下のタムラから”I Want A Guy / Never Again”でレコード・デビューを果たすが、ベリー・ゴーディ,Jr.の期待とは裏腹に、全くヒットせず。
彼女たちの初ヒット曲は、デビューから1年後の”Let Me Go The Right Way”だった。
そして、本アルバムに収録されているA(4)(邦題「恋のキラキラ星」)とA(2)が小ヒットした後、A(1)(邦題「愛はどこへ行ったの」)の大ヒット(R&BチャートNo.1 / 64年)をきっかけに、シュプリームスはスター街道を歩むことになる。
そういった意味でも、本アルバムは彼女たちにとっての記念碑的作品と言えるだろう。
本アルバムに収められているヒット曲(A(1)~(5))はいずれもホーランド=ドジャー=ホーランドの作品。
A(5)はシュプリームスにとっては初の全米No.1ソングで、同曲以降、彼女たちの人気は飛ぶ鳥を落とす如くの凄まじさだった。
65年から69年にかけての約5年間に放った全米No.1ヒットは何と全10曲。
しかも、A(5)から”Refrections”(67年)までの全シングルが全米トップ20ヒットなのだから、当時の人気ぶりは想像を絶するものだ。
彼女たちの魅力は、何と言ってもダイアナのキンキラ・ヴォイスだが、控え目なフローレンス&メアリーのバック・コーラスも充分に花を添えている。
ダイアナとフローレンスの確執が原因でフローレンスがグループを去った67年、ブルーベルズのメンバーだったシンディ・バードソングが新メンバーとして迎え入れられた。
▶Some More from this Artist
- “Meet The Supremes” (Motown 606)
- “A Bit Of Liverpool” (同 623)
- “We Remember Sam Cooke” (同 629)
- “The Supremes At The Copa” (同 636)
- “I Hear A Symphony” (同 643)
- “A’ Go-Go” (同 649)
- “The Supremes Sing Holland-Dozier-Holland” (同 650)
- “The Supremes Sing Rodgers & Hart” (同 659)
- “Reflections” (同 665)
- “Love Child” (同 670)
②③は明らかに白人マーケットを狙ったもので、聴くには及ばない作品。
69年にダイアナがソロ転向を計った後にジーン・テレルが新加入して再起を賭けたが、60年代を駆け抜けたシュプリームス狂想曲は2度と響くことはなかった。
転載:U.S. Black Disk Guide©泉山真奈美
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